20231115

event

清水宏生誕120年記念シンポジウム

Commemorating the 120th Anniversary of the Birth of Hiroshi Shimizu


日時
2023年12月19日(火)18:20〜

会場
アテネ・フランセ文化センター(東京・御茶ノ水)

筒井武文(映画監督)
井口奈己(映画監督)
大澤浄(国立映画アーカイブ主任研究員)
藤井仁子(映画研究者)
[上映]『奈良には古き仏たち』(1953年、37分、35ミリ)

プログラム
18:20〜[上映]『奈良には古き仏たち』
19:00〜[基調報告]大澤浄
19:20〜[シンポジウム]筒井武文、井口奈己、大澤浄、藤井仁子

料金 1,300円
*130席(自由席)。当日券のみ。先着順。チケットは上映30分前から販売します。

主催 ............ éditions azert
共催 ............ 映画美学校
協力 ............ アテネ・フランセ文化センター、神戸映画資料館
フィルム・画像提供 ............ 神戸映画資料館


清水宏
1903年、静岡県磐田郡(現・浜松市)に生まれる。北海道帝国大学農学部中退を自称するも真偽不明。1922年に松竹キネマ入社、1924年に『峠の彼方』で監督に昇進した。以後、松竹を代表する監督としてメロドラマからカレッジもの、喜劇まで多様なジャンルを手がけるが、次第にロケーション撮影を主体に過度のドラマ性を排した独自の作風を築きあげる。特に坪田譲治原作の『風の中の子供』(1937)では児童映画の第一人者としての評価を確立した。1945年、松竹退社。戦後は戦災孤児を多く引きとり、1948年に蜂の巣プロダクションを設立すると、彼らを主演に『蜂の巣の子供たち』(1948)に始まる三部作を発表した。フリーの契約監督として各社を渡り歩いたのち、最後は大映に腰を落ちつける。1966年死去。実生活と同じく映画においても旅を愛し、その旅に寄り添うがごとき息の長い移動撮影は清水作品のトレードマークとなっている。

奈良には古き仏たち
1953年|蜂の巣映画部|37分|白黒|35ミリ
監督:清水宏
蜂の巣三部作の掉尾を飾る名作『大仏さまと子供たち』(1952)の姉妹篇というべき記録映画。表題は芭蕉の句から。前作同様、仏像と寺院建築に向ける眼は確かなもので、子供の描写や移動撮影に教育目的を超えた清水宏らしい妙味がある。長く存在のみが知られていた幻の作品だったが、近年16ミリプリントから35ミリにブローアップされたものを上映する。


筒井武文(つつい・たけふみ)
映画監督。1957年生。フリーの助監督、映画編集者を経て、『ゆめこの大冒険』(1987)で長篇監督デビュー。監督作に『オーバードライヴ』(2004)、『バッハの肖像』(2010)、『孤独な惑星』(2011)、『自由なファンシィ』(2015)、『映像の発見=松本俊夫の時代』(2015)、『ホテルニュームーン』(2019)など。映画批評も多く手がける。

井口奈己(いぐち・なみ)
映画監督。1967年生。2001年、8ミリ作品『犬猫』がPFFアワードに入選。2004年に同作を35ミリでリメイクし、商業映画デビュー。以降、『人のセックスを笑うな』(2008)、『ニシノユキヒコの恋と冒険』(2014)を監督。近作に『だれかが歌ってる』(2019)、『こどもが映画をつくるとき』(2021)、『左手に気をつけろ』(2023)。

大澤浄(おおさわ・じょう)
国立映画アーカイブ主任研究員。1975年生。共著に『スクリーンのなかの他者』(岩波書店、2010)、『甦る相米慎二』(後掲)ほか。近年の論考に「見ることの力―清水宏『明日は日本晴れ』について」(『NFAJニューズレター』16号、2022)。

藤井仁子(ふじい・じんし)
映画研究者。1973年生。編著に『甦る相米慎二』(共編、インスクリプト、2011)、『森﨑東党宣言!』(インスクリプト、2013)、『いま、映画をつくるということ』(共編、フィルムアート社、2023)ほか。


アテネ・フランセ文化センター
東京都千代田区神田駿河台2-11 アテネ・フランセ4階
JR・地下鉄 御茶ノ水・水道橋駅より 徒歩7分 TEL.03-3291-4339(13:00–20:00)  



清水についての溝口健二の評言は、『映畫読本 清水宏』(フィルムアート社、2000)所収の青木富夫インタビューで、佐々木康から伝え聞いたものとして語られている。

comments

清水宏生誕120年によせて


加瀬亮(俳優)

清水宏監督生誕120周年ということでシンポジウムが開催されることを喜ばしく思います。私の清水映画体験の数は貧しいと言わざるを得ませんが、それでも観たものは未だに鮮明な体験として記憶に残っています。一例を挙げれば『団栗と椎の実』という短編のラストシーン、芋虫のように木に登る少年の愛らしさは一体どういうことなのでしょう。全編に行き渡るあの軽やかで透明な美しいものは一体なんなのでしょうか。理屈や説明や作為で固くなってしまった現在の邦画にもう一度風をもたらすべく、今こそ清水映画を観なおしたいと思っています。

濱口竜介(映画監督)

ジャン・ルノワールと同時代、そして侯孝賢に先駆けて映画に風を吹かせた男が日本にいた。清水宏。彼の映画から吹き渡る風を、今こそ全身に受け止めよう!

三宅唱(映画監督)

清水宏が道の真ん中に立っている。そして四方の気配にキャメラを向ける。すると、どこからともなく声がして、木陰から「風の中の子供」たちが現れ、「蜂の巣の子供たち」が走り抜け、奥から「有りがたうさん」がやってきては「小原庄助さん」や「港の日本娘」と交差し始める。清水宏が立ち止まれば、そこがそのとき、世界のど真ん中なのだ。そして清水宏が道や辻を作り出しているのだ。

草野なつか(映画作家)

初めて観た作品は『有りがたうさん』で、確か大学時代でした。その時は特に大きな驚きはなかったような憶えがあるが(そしてそれは大きな間違いだったと後々気がつくのだが)、映画を作ろうと思い学校に通い始めたとき、監督になろうと決めてから初めて撮ったとき、その作品群はいつでも隣に寄り添い続けていたように思います。今となっては、観れば観るほど判らなくなる。いったいどのように撮られたのか。この誠実さと距離の保たれたまなざしはどのように生まれたのか。画面から溢れる軽やかさとリズム感。職人の手つきと、そこに同居する驚くべき瑞々しさ。大きな事件は起こらずとも目を離すことのできない画面。その秘密は、膨大なフィルモグラフィの数にも隠されているのだと思います。これからもずっと驚かされ続けていくのだろう、いつまでも隣に寄り添い続けていてほしい作品たちです

筒井武文(映画監督)

清水宏は自然主義者ではない。もちろん日本情緒薫るロケーションの魅力は群を抜いているし、子供たちの自発的な躍動感も素晴らしい。しかし、サイレント時代から男女の愛欲描写にも長けていたし、モダニズムの洗礼も受けている、あえて言えば複雑怪奇な映画作家なのである。小津安二郎が徐々に排除していく映画技法を徹底的に追求してもいる。特に同ポジ・ディゾルブに横と縦の移動。水の多様な表情が、斜面での移動撮影と連携したときの抒情の純度たるや。しかし、抒情に収まらない演出の数々。あの笠智衆が女性におぶさる姿など、清水宏以外に想像できようか。そして、「座頭市」以前に、これほど盲人の視覚を表現することに拘った者がいるだろうか。切り返し技法と見た目移動に、喜劇の枠内で、ホラー映画でしか起きないような非現実的な現実感を与えてもいる。清水宏の全貌を把握している者はまだ誰もいない。

井口奈己(映画監督)

清水宏は天才だ。皆が条件を揃えて映画作りしている中で、身近にいる戦災孤児の身元を探るために(オープニングにそう字幕で出てくる)、製作、脚本、監督を自らやり、つまり自主映画で、サラリと『蜂の巣の子供たち』なんて傑作を作ってしまうのだ。子供たちは、本当の浮浪児で浮浪児の役をやっているのだけど、スクリーンに映る姿は自信に満ちあふれていて自由で軽やかで、死んじゃう役の子もなんだか楽しそうに見える。楽しそうに見えると言えば、笠智衆だって楽しそうだし、高峰三枝子だってのびのびして見える。田中絹代なんて、こんなに可愛らしい田中絹代、見たことない。あまりに軽やかな映画過ぎて、見過ごされ再発見されるのに時間がかかり過ぎというものだ。生誕120年を機に、よろめかない木暮実千代が自らバスで走り出すシスターフッドの傑作『暁の合唱』を是非ともBlu-rayリリースしていただきたい。今こそ見られるべき映画なのではないでしょうか?

藤井仁子(映画研究者)

清水宏は人間の暦を超越する。ネオレアリズモやヌーヴェル・ヴァーグが初めてやったとどの映画史の教科書にも書いてある事柄を一人先取りしていたかと思えば、乗りものの移動を撮るだけで楽園追放前の映画がそなえていた始原的な運動の魅惑をいともたやすく甦らせてしまう。そのすべてがたった今、発明されたばかりであるかのようなのだ。暦の上では1940年の作とされる『京城』で噴水の周囲を360度以上回るストローブ゠ユイレ的な移動撮影のショットなど、ほとんどオーパーツのたぐいであろう。そんな清水宏が、同じ松竹に所属した小津安二郎とたまたま同じ年に生まれたという暦の都合だけで小津の名声の陰に隠れるという反゠清水宏的な事態を、これ以上許していいものだろうか。生誕120年という暦にもとづく区切りは、もちろんただの口実にすぎない。清水宏を清水宏に相応しく時空の制約を超えて見なおすために、この来るべき作家を語りつくす饗宴の場を設けよう。乞う、ご参集!

introduction

清水宏、映画の野生児

岡田秀則(国立映画アーカイブ主任研究員)


「僕とか小津君は努力派だが、清水君は天才だ」と言ったのは溝口健二である。その意味するところは、『小原庄助さん』(1948)で清水の助監督だった石井輝男の回想からも分かるだろう。「清水さんというのは俳優と一言も口を利かなくて、自分でアクションもつけないし、自分で「ヨーイ、スタート」も言わない。ダビングも編集もしないんです。現場にホン(台本)も持ってこない。ワンカットごと助監督のホンを見て、キャメラ・ポジションを決める。構図だけはキャメラマンに任せないで、自分で決めるんですね」。それでも私たちは、その多くの作品の中に清水らしさの刻印をはっきり認めることができる。

清水が松竹蒲田撮影所に入所したのは1922年のことである。そこではすでに成瀬巳喜男が監督助手として働いており、翌年には小津安二郎が入社してきたが、清水と小津は直ちに友情で結ばれた。無声映画時代の清水は優れたメロドラマを連発して会社を潤していたが、興行成績の振るわない小津作品に対する会社側の不満に対して、清水は「小津はあれでいい。儲かる映画は俺が作る」と言って小津をかばったという。松竹の撮影所は1936年に蒲田から大船に移転し、製作規模を拡大してゆくが、第二次大戦での日本の敗戦を境に、清水が自主製作を目指して松竹を去るまで、二人は誰もが認める撮影所のライバルだった。

しかし清水の映画は、海外はおろか、日本でも長い間正当な評価を得ることができなかった。その理由のひとつは、戦後の彼が困難な自主製作に取り組み、それに挫折した晩年、大手スタジオのプログラム・ピクチャーの演出に甘んじたことがある。それは、小津や成瀬が巨匠の座にのぼってゆくのとは対照的な道のりであった。生涯に164本の作品を残して、1966年にひっそりと亡くなった彼の仕事が再評価されるには、1990年代を待たねばならない。小津と清水、両者の映画の常連俳優だった笠智衆は、小津映画の高い評価に対して、清水映画がきちんと評価されていないことを晩年になっても嘆いていた。

清水は、撮影所で育つ監督たちの多くが避けてきたことを意図的に取り入れた。とりわけそのキーワードとなるのは《旅》と《子供》だろう。《旅》とは、単に彼が田舎の風景を愛したということではなく、撮影所を離れて自然の中にキャメラを持ち出すことを意味している。『花形選手』(1937)における行軍訓練のシーンなど、清水の手にかかるとピクニックと見紛うほどの空気をまとっている。清水は撮影所内での地位を確立するにつれて、小津や他の監督たちとは対照的に、屋内でのドラマを排してロケーション撮影に傾倒した。彼は自然の風景をフィルムに収める時、フィクションとしての構造の中にそれをはめ込むのではなく、むしろ、ありのままの自然の中に俳優たちを放り込むことを好んだ。それらの作品が持つ伸びやかで大らかな空気は、しばしば即興的に映画を築き上げる清水独特のものである。

また《子供》を映画の中央に据えたことも、撮影所にいながらにして「プロフェッショナル」な演技に頼ることをやめた清水の帰結である。例えば『みかへりの塔』(1941)では、風景の中に子供たちを捉える時、清水の世界は最も充実した瞬間を迎えるだろう。そして大戦後の彼は、戦争孤児を引き取って「蜂の巣」という家を運営し、その子供たちを主演俳優として映画を撮るという世界的にも前例のない実験に取り組み、『蜂の巣の子供たち』(1948)、『その後の蜂の巣の子供たち』(1951)、『大仏さまと子供たち』(1952)という三本の傑作を残した。それらの出演者には、子供たち以外でも、プロフェッショナルの俳優は一人もいない。さらに、障害者や社会的弱者、被差別者に注ぐ視線の存在も、そのフィルモグラフィをたどれば明らかだ。『有りがたうさん』(1936)における、道路工事に従事する在日朝鮮人への共感は当時の日本映画としては極めて珍しい。

いわば野生児だった清水宏は、批評的な視点を持ち合わせて映画を作る人間ではなかった。しかし、他人の通らない道を歩むことで、当時の日本映画に対する無意識の批判を実践していたように思われてならない。それはあまりにも早すぎた、たったひとりの《ヌーヴェル・ヴァーグ》だったのかも知れない。この2020年が、この例外的な映画作家がフランスで、そしてさらに世界的な規模で発見される機会になることを切に願っている。



パンデミックにともなう延期を経て、2021年にシネマテーク・フランセーズおよびパリ日本文化会館で清水宏回顧上映が開催された。本稿は、それに際して発行された書籍Hiroshi Shimizu : l’enfant sauvage du cinémaに収録されたものである。