清水宏生誕120年によせて
加瀬亮(俳優)
清水宏監督生誕120周年ということでシンポジウムが開催されることを喜ばしく思います。私の清水映画体験の数は貧しいと言わざるを得ませんが、それでも観たものは未だに鮮明な体験として記憶に残っています。一例を挙げれば『団栗と椎の実』という短編のラストシーン、芋虫のように木に登る少年の愛らしさは一体どういうことなのでしょう。全編に行き渡るあの軽やかで透明な美しいものは一体なんなのでしょうか。理屈や説明や作為で固くなってしまった現在の邦画にもう一度風をもたらすべく、今こそ清水映画を観なおしたいと思っています。
濱口竜介(映画監督)
ジャン・ルノワールと同時代、そして侯孝賢に先駆けて映画に風を吹かせた男が日本にいた。清水宏。彼の映画から吹き渡る風を、今こそ全身に受け止めよう!
三宅唱(映画監督)
清水宏が道の真ん中に立っている。そして四方の気配にキャメラを向ける。すると、どこからともなく声がして、木陰から「風の中の子供」たちが現れ、「蜂の巣の子供たち」が走り抜け、奥から「有りがたうさん」がやってきては「小原庄助さん」や「港の日本娘」と交差し始める。清水宏が立ち止まれば、そこがそのとき、世界のど真ん中なのだ。そして清水宏が道や辻を作り出しているのだ。
草野なつか(映画作家)
初めて観た作品は『有りがたうさん』で、確か大学時代でした。その時は特に大きな驚きはなかったような憶えがあるが(そしてそれは大きな間違いだったと後々気がつくのだが)、映画を作ろうと思い学校に通い始めたとき、監督になろうと決めてから初めて撮ったとき、その作品群はいつでも隣に寄り添い続けていたように思います。今となっては、観れば観るほど判らなくなる。いったいどのように撮られたのか。この誠実さと距離の保たれたまなざしはどのように生まれたのか。画面から溢れる軽やかさとリズム感。職人の手つきと、そこに同居する驚くべき瑞々しさ。大きな事件は起こらずとも目を離すことのできない画面。その秘密は、膨大なフィルモグラフィの数にも隠されているのだと思います。これからもずっと驚かされ続けていくのだろう、いつまでも隣に寄り添い続けていてほしい作品たちです。
筒井武文(映画監督)
清水宏は自然主義者ではない。もちろん日本情緒薫るロケーションの魅力は群を抜いているし、子供たちの自発的な躍動感も素晴らしい。しかし、サイレント時代から男女の愛欲描写にも長けていたし、モダニズムの洗礼も受けている、あえて言えば複雑怪奇な映画作家なのである。小津安二郎が徐々に排除していく映画技法を徹底的に追求してもいる。特に同ポジ・ディゾルブに横と縦の移動。水の多様な表情が、斜面での移動撮影と連携したときの抒情の純度たるや。しかし、抒情に収まらない演出の数々。あの笠智衆が女性におぶさる姿など、清水宏以外に想像できようか。そして、「座頭市」以前に、これほど盲人の視覚を表現することに拘った者がいるだろうか。切り返し技法と見た目移動に、喜劇の枠内で、ホラー映画でしか起きないような非現実的な現実感を与えてもいる。清水宏の全貌を把握している者はまだ誰もいない。
井口奈己(映画監督)
清水宏は天才だ。皆が条件を揃えて映画作りしている中で、身近にいる戦災孤児の身元を探るために(オープニングにそう字幕で出てくる)、製作、脚本、監督を自らやり、つまり自主映画で、サラリと『蜂の巣の子供たち』なんて傑作を作ってしまうのだ。子供たちは、本当の浮浪児で浮浪児の役をやっているのだけど、スクリーンに映る姿は自信に満ちあふれていて自由で軽やかで、死んじゃう役の子もなんだか楽しそうに見える。楽しそうに見えると言えば、笠智衆だって楽しそうだし、高峰三枝子だってのびのびして見える。田中絹代なんて、こんなに可愛らしい田中絹代、見たことない。あまりに軽やかな映画過ぎて、見過ごされ再発見されるのに時間がかかり過ぎというものだ。生誕120年を機に、よろめかない木暮実千代が自らバスで走り出すシスターフッドの傑作『暁の合唱』を是非ともBlu-rayリリースしていただきたい。今こそ見られるべき映画なのではないでしょうか?
藤井仁子(映画研究者)
清水宏は人間の暦を超越する。ネオレアリズモやヌーヴェル・ヴァーグが初めてやったとどの映画史の教科書にも書いてある事柄を一人先取りしていたかと思えば、乗りものの移動を撮るだけで楽園追放前の映画がそなえていた始原的な運動の魅惑をいともたやすく甦らせてしまう。そのすべてがたった今、発明されたばかりであるかのようなのだ。暦の上では1940年の作とされる『京城』で噴水の周囲を360度以上回るストローブ゠ユイレ的な移動撮影のショットなど、ほとんどオーパーツのたぐいであろう。そんな清水宏が、同じ松竹に所属した小津安二郎とたまたま同じ年に生まれたという暦の都合だけで小津の名声の陰に隠れるという反゠清水宏的な事態を、これ以上許していいものだろうか。生誕120年という暦にもとづく区切りは、もちろんただの口実にすぎない。清水宏を清水宏に相応しく時空の制約を超えて見なおすために、この来るべき作家を語りつくす饗宴の場を設けよう。乞う、ご参集!